アニメ作品を観ていると、時折「外連味がある作品だ」という評価を目にすることがあります。外連味とは何か、その読みは「けれんみ」であることをご存知でしょうか?本来「はったり」や「ごまかし」を意味するこの言葉は、現代のアニメ評論においては独特の意味を持っています。「ケレン味がある」と言われる作品は、派手で大胆な演出が特徴的で、それが魅力として評価されていることが多いのです。実際、「外連味たっぷり」というフレーズは、アニメ作品の中でも特に視聴者の心を揺さぶる演出が豊富に使われていることを表します。
外連味という言葉は元々、歌舞伎や人形浄瑠璃といった日本の伝統芸能に由来しています。現実ではあり得ない表現や過剰な演出を通じて、作品に深みと魅力を与える重要な技法となっているのです。「外連味とはどういう意味ですか?」という疑問をお持ちの方も多いと思いますが、この記事では、アニメにおける外連味の意味から、代表的な作品例、そして手描きアニメとCGアニメにおける外連味の違いまで、幅広く解説していきます。日本のアニメ文化に独特の彩りを添える外連味の世界をぜひお楽しみください。
- アニメにおける外連味の正確な定義と歴史的背景
- 外連味がある作品と外連味のない作品の具体的な違いと特徴
- 庵野秀明監督作品における外連味の活用法と表現技術
- CGと手描きアニメにおける外連味表現の技術的な差異と進化
アニメで見られる外連味とはどういう意味か
X-MEN'97とかスパイダーバースみたいにアニメならではな外連味全開な表現を積極的に取り入れてるの大好き。 pic.twitter.com/XYIvxY9hjf
— Wind* (@SpiderJB) May 19, 2024
- 外連味の読みは「けれんみ」
- 外連味とは歌舞伎が語源の演出手法
- 「ケレン味がある」は派手な演出の褒め言葉
- 「外連味たっぷり」の作品事例
外連味の読みは「けれんみ」
外連味は「けれんみ」と読みます。漢字で「外連味」と書かれていると読み方に迷う方も多いですが、正しくは「けれんみ」です。「げれんみ」や「がいれんみ」などと読まないようにしましょう。
この「外連」という漢字は実は当て字であり、「外」の一般的な音読みは「ガイ」や「ゲ」ですが、「ケ」という読み方は本来ありません。そのため、現代では「ケレン味」とカタカナと漢字を組み合わせた表記も広く使われています。どちらの表記でも意味は同じです。
なぜこのような独特の読み方になったのでしょうか。これは日本の伝統芸能における専門用語が一般化する過程で生まれた読み方です。江戸時代から使われてきた演劇用語が時代とともに変化し、現代に至っています。
「味(み)」の部分は接尾語で、形容詞や形容動詞に付いて名詞を作る役割を持っています。「暖かみ」「赤み」「甘み」などと同じ用法です。「外連」という状態や性質に「味」が加わり、「外連味」となりました。
興味深いことに、同じ「けれんみ」という言葉でも、文脈によってはプラスの意味にもマイナスの意味にもなりえます。たとえば「ケレン味のない文章」と言えば、飾り気のない素直な文章という褒め言葉になりますが、エンターテイメント作品に対しては「面白みに欠ける」というマイナスの意味合いになることもあります。
このように、「けれんみ」は日本語の中でも文脈によって評価が変わる独特な言葉なのです。アニメや映画の批評でこの言葉を見かけたときは、前後の文脈から肯定的に使われているのか否定的に使われているのかを判断することが大切です。
外連味とは歌舞伎が語源の演出手法

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外連味とは、元々は歌舞伎や人形浄瑠璃などの日本の伝統芸能で用いられる演出手法に由来する言葉です。江戸時代、歌舞伎で見た目本位の奇抜さを狙った演出を「外連(けれん)」と呼び、そこから派生して「外連味(けれんみ)」という言葉が生まれました。
歌舞伎における「外連」は具体的にどのようなものだったのでしょうか。例えば、俳優が一瞬で衣装を替える「早替わり」、舞台上でワイヤーを使って空中を飛ぶ「宙乗り」、舞台が回転する「廻り舞台」などの派手な仕掛けです。これらは観客の目を奪う奇抜な演出であり、当時としては革新的なものでした。
一方で、この「外連」という言葉には当初「正統でない」「邪道だ」という否定的な意味合いも含まれていました。あくまで「芸の本道から外れた」演出という評価だったのです。しかし時代と共に、この言葉はエンターテイメント性の高い演出を指す言葉として肯定的に使われるようになっていきました。
アニメの世界でも、この歌舞伎の「外連味」に通じる演出が数多く見られます。例えば、キャラクターが怒りのあまり背景に炎が燃え上がるような表現や、野球アニメでボールが空中でひしゃげたり滞空時間が異常に長くなったりする表現があります。これらは現実にはありえない「ごまかし」や「はったり」ですが、作品を盛り上げる重要な要素となっています。
注目すべきは、このような「外連味」が単なる「ごまかし」ではなく、作品に深みを与える重要な演出技法だということです。理詰めで正確な表現よりも、時には現実の物理法則を無視してでも観る者の心を動かす力強さや迫力を優先することで、作品の魅力を高めることができるのです。
現代のアニメ批評においては、「外連味のある作品」と評されれば、それは多くの場合「ただリアルなだけではない、独自の演出によって見る者を引き込む魅力がある作品」という肯定的な意味で使われています。例えば「トップをねらえ!」や「グレンラガン」などの作品は、外連味たっぷりの演出で知られています。
ただし、あまりに外連味が強すぎると「やりすぎ」「くどい」という評価になることもあります。適度な外連味こそが、作品に独特の魅力を与えるのです。
「ケレン味がある」は派手な演出の褒め言葉
『ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉』観ました
シネスコを活かした画面構成と横移動の運動がとにかく素晴らしい。レースから日常場面に至るまで丁寧な演出に満ちているからこそ、時々挟まる外連味溢れる演出がバチバチに決まっている。アニメ表現と身体的な運動の融合が果たされていて最高! pic.twitter.com/8XzibPuz5o
— 豚肉丸 (@Butamarueiga) July 18, 2024
「ケレン味がある」という表現は、一般的に作品や演出に対する褒め言葉として使われています。「ケレン味」の本来の意味は「はったり」や「ごまかし」ですが、エンターテイメント作品においては、観客をワクワクさせる派手で大胆な演出を指す言葉として肯定的に用いられることが多いのです。
アニメ作品において「ケレン味がある」と評される場合、それは現実ではあり得ないような誇張表現や視覚効果が効果的に使われていることを意味します。例えば、キャラクターが怒った時に背景に炎が燃え上がるような表現や、技を繰り出す際に大きな掛け声と共に画面全体が華やかに演出されるシーンなどが「ケレン味のある」表現です。
「SHIROBAKO」というアニメ業界を描いた作品では、作画担当の遠藤というキャラクターが「外連味を出す」という表現をしばしば使います。彼は「ここは作画で外連味出すところだろっ」と言って、リアリティよりも視覚的な派手さや盛り上がりを優先する演出を主張しています。これはまさに「ケレン味」の本質を表しています。
近年のアニメでケレン味のある作品として知られているのは、「キルラキル」や「グレンラガン」などTRIGGER系や旧ガイナックス系作品です。これらの作品では、あえてパースを崩してダイナミックかつパワフルな動きを表現したり、ジャンプのときに変なポーズを取らせたりするなど、アニメならではの表現を存分に活かした演出が特徴です。
一方で、「ケレン味がある」という評価は視聴者の好みによって解釈が変わることがあります。派手な演出や誇張表現を好む視聴者にとっては高評価となりますが、リアリティや正統派の表現を好む視聴者にとっては、過剰な演出として否定的に捉えられることもあります。
このように、「ケレン味がある」という表現は、単なる「はったり」や「ごまかし」ではなく、エンターテイメント作品において観客を引き込むための重要な演出技法を評価する言葉として使われています。現実離れした表現であっても、それが作品の世界観や感情表現に効果的に寄与しているなら、それは「ケレン味のある」優れた演出と言えるのです。
「外連味たっぷり」の作品事例

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「外連味たっぷり」と評される作品には、観客を魅了する派手で大胆な演出が特徴的に用いられています。日本のアニメ界では、特にいくつかの作品や制作スタジオがこの「外連味」を得意としており、ファンから高い評価を得ています。
まず挙げられるのは「シンフォギア」シリーズです。この作品は歌いながら戦うという独特の設定に加え、キャラクターたちが必殺技を繰り出す際の派手なエフェクトと熱い掛け声が特徴です。「シンフォギア」の戦闘シーンでは、物理法則を無視した動きや、画面全体を使った派手な演出が目を引きます。まさに「外連味たっぷり」のエンターテイメント作品と言えるでしょう。
次に、TRIGGER社の「キルラキル」も外連味の強い作品として知られています。この作品では、衣装が変形したり巨大化したりする独特の設定を活かし、常識的には考えられないほどダイナミックな戦闘シーンが展開されます。キャラクターの動きも誇張され、感情表現も大げさであるため、視聴者を引き込む強烈な「外連味」を持っています。
庵野秀明監督の「トップをねらえ!」も「外連味」の代表的な作品です。特に有名なのは主人公の「スーパーイナズマキック!」など必殺技を叫ぶシーンで、声優の熱演と相まって強烈な印象を与えます。現実には不可能な宇宙での戦闘シーンも、観客を魅了する「外連味」の一例です。
実写作品でも「外連味」は見られます。時代劇の「斬られ役」の大げさな演技、特に斬られた後に思い切りためてからドサッと倒れる演出は、典型的な「外連味」と言えるでしょう。また、特撮作品「仮面ライダー」シリーズの変身シーンや怪人との戦闘シーンにも、「外連味」が効果的に使われています。
また、漫画「デンキ街の本屋さん」では、「外連味」について次のように説明されています。「キャラもたってるし、設定もわかりやすい。足りないとすればケレン味だ。ケレン味とは派手さ、ハッタリだ。見せ場をより際立たせるための技術だ。それほど強くないキャラを解説や登場シーンで強キャラに見せることができるし、そんなにいいこと言ってなくても流れで名言っぽく見せることができる。漫画はいくらでも嘘をついてもいいんだ。」
注意すべきは、「外連味」は単なる派手さや誇張だけではないということです。効果的な「外連味」は、作品のテーマや感情表現を強化し、観客の心に強く訴えかけます。ただ派手なだけでは「やりすぎ」と感じられることもありますが、物語の盛り上がりに合わせた適切な「外連味」は、作品に深みと魅力を与える重要な要素なのです。
結局のところ、「外連味たっぷり」の作品は、現実を超えた表現で観る者を引き込み、強い感情を呼び起こす力を持っています。そこには単なる「はったり」以上の、エンターテイメントとしての深い魅力があるのです。
外連味のあるアニメ作品と演出の特徴
トップをねらえ!
ガイナックス、庵野秀明が生み出したSFロボットアニメの傑作。
重厚なSF設定、突き抜けた外連味たっぷりの熱血展開、適度なお色気、そして“ウラシマ効果”が引き起こす悲哀溢れる人間ドラマが魅力的。
主要メカ・ガンバスターのダイナミックが過ぎる戦闘演出の数々は胸がスッとする。 pic.twitter.com/bfG6ft8rdi— シネマ隊長 (@cinemajouhou) March 13, 2021
- 庵野監督作品に見る外連味
- アニメにおける外連味の活かし方
- 外連味のない作品との違い
- CGと手描きアニメの外連味の差
庵野監督作品に見る外連味
庵野秀明監督は日本のアニメ界において外連味の表現を独自の形で発展させてきた監督として知られています。1960年山口県生まれの庵野監督が商業アニメの監督として初めて世に送り出した作品「トップをねらえ!」(1988年)から、その特徴的な演出スタイルは注目を集めていました。
「トップをねらえ!」は特に第5話で炸裂する「スーパーイナズマキック!」のシーンに代表されるように、非常に派手で熱量のある演出が特徴です。このシーンでは、主人公が必殺技を繰り出す際に声優の日高のり子さんが全力で叫ぶ熱演と相まって、当時のアニメにおける外連味の極みとも言える表現となっています。物理法則を超えた動きや、現実ではあり得ない表現を思い切って使い、作品の盛り上がりを最大化する手法です。
庵野監督の真骨頂は、その後1995年に放送された「新世紀エヴァンゲリオン」にも見ることができます。一見すると硬質なSF作品に見えるエヴァですが、実は随所に外連味のある演出が散りばめられています。特に戦闘シーンにおける「A.T.フィールド全開!」などの掛け声や、エヴァが暴走する際の異様な描写、独特の間(ま)の取り方などは、視聴者の感情を強く揺さぶる効果を持っています。
しかし興味深いことに、庵野監督の作品における外連味は、単なる派手さや奇抜さだけではありません。むしろ、あえて抑制的な表現と派手な外連味のあるシーンを対比させることで、その効果を最大化しています。例えば、エヴァンゲリオンでは日常シーンが淡々と続いた後に、突如として破壊的な戦闘シーンが挿入されるという構成がしばしば見られます。
また、押井守監督とのインタビューでは、「富野さんはアニメーション特有の快感原則を好まない人なんだよ」という押井監督の言葉に対し、『逆襲のシャア』における「小惑星アクシズを押し返す場面」などに「ケレン味があふれている」と評するやり取りがあったほどです。庵野監督自身も、他の作品の外連味についての見識が深いことがわかります。
庵野監督の外連味表現のもう一つの特徴として、「現実感との融合」が挙げられます。特に「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズでは、CGと手描きを融合させた新たな外連味の形を模索しています。従来のアニメにおける外連味(わざとらしい誇張や非現実的な表現)と、現代的な映像表現技術を融合させることで、新たな視覚体験を生み出しているのです。
「シン・エヴァンゲリオン劇場版」(2021年)に至るまで、庵野監督は常に新しい外連味の形を追求し続けています。それは単なる派手さや奇抜さではなく、視聴者の心を揺さぶるための効果的な演出手法として進化しています。外連味という伝統的な日本の演出概念を、現代アニメの文脈で再解釈し発展させた監督として、庵野秀明の功績は大きいと言えるでしょう。
特に注目すべきは、庵野監督が外連味を効果的に使いながらも、それに頼りすぎない絶妙なバランス感覚を持っていることです。彼の作品は派手な演出だけでなく、内容の深さや人間ドラマの機微も大切にしており、外連味はあくまでもそれらを引き立てるための道具として使われています。
アニメにおける外連味の活かし方

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アニメーションは現実世界の制約から解放された表現媒体であり、外連味を活かすための絶好の場となっています。この特性をどのように生かすかが、アニメ作品の個性や魅力を左右する重要な要素となっています。
外連味の基本的な活かし方として最も分かりやすいのは、「物理法則を超えた動き」の表現です。例えば、野球アニメで投手が渾身の力で投げる球が空中でひしゃげたり、異常に長い滞空時間を持ったりする表現は、実際の野球ではあり得ませんが、キャラクターの気持ちや場面の緊張感を視覚的に伝える効果があります。同様に、格闘シーンで拳や足に残像が付いたり、キャラクターが怒った時に背景に炎が出現したりする表現も、感情の高ぶりを強調する外連味です。
アニメにおける外連味の活かし方として重要なのは「タイミング」です。常に派手な演出を続けると視聴者は慣れてしまい、効果が薄れます。むしろ、日常的なシーンや静かな描写を丁寧に積み重ねた上で、クライマックスで外連味のある演出を爆発させることで、その効果は最大化します。前述のTRIGGER系やガイナックス系作品では、この「溜めと放出」のメリハリが効果的に使われています。
現代アニメにおける外連味の活かし方で注目されるのが「スタイライズされたデフォルメ」です。例えば「NARUTO」や「ウマ娘」に見られる超前傾姿勢での走りは、現実ではむしろ走りにくいのですが、キャラクターのスピード感や緊張感を演出するための「ハッタリ」として機能しています。同様に、「進撃の巨人」の立体機動装置の動きも、現実の物理では説明できない動きですが、アクションの迫力を高める効果があります。
また、アニメ特有の外連味として「わざと作画を崩す」テクニックがあります。特に激しい戦闘シーンなどでは、あえて線をラフにしたり、パースを無視したりすることで、動きの勢いやキャラクターの感情の高ぶりを表現します。これは一見するとミスのように見えますが、実は計算された外連味の一つであり、「サイバーパンク:エッジランナーズ」などの作品でも効果的に使われています。
外連味を現代的に活かす方法として、CGとの融合も見逃せません。従来の手描きアニメでは表現できなかった複雑な動きや空間表現が、CGを併用することで可能になっています。しかし、ただリアルに描くだけでは外連味は生まれません。CGの精緻さと手描きアニメの誇張表現を組み合わせることで、新たな外連味の可能性が広がっています。「鬼滅の刃」の呼吸の視覚表現などはその好例でしょう。
外連味を活かす上で忘れてはならないのは「作品の世界観との整合性」です。どんなに派手な演出も、作品の世界観に合っていなければ浮いてしまいます。例えば、リアリティを重視する作品と、ファンタジー色の強い作品では、適切な外連味の度合いが異なります。作品のトーンや世界観に合った外連味を選ぶことが重要です。
現代のアニメでは、SNSで話題になりやすい「映える」シーンを作るために外連味を活用する傾向も見られます。特に1話や重要な回で視聴者の印象に残る「神回」を演出するために、外連味のある派手なアクションや感情表現が盛り込まれることがあります。しかし、こうした表現が単なる「ウケ狙い」に終わらないよう、物語やキャラクターの感情と結びついていることが理想的です。
最後に、外連味は単なる「誤魔化し」ではなく、むしろ「エンターテイメントの真髄」であることを認識することが大切です。現実の制約を超え、視聴者の心を動かすために、あえて「嘘」をつく勇気こそが、優れたアニメ作品を生み出す原動力となります。現実にはあり得ない表現だからこそ、現実では感じられない感動や高揚感を与えることができるのです。
外連味のない作品との違い
今進撃の巨人見返してるんだけど
最終章、『紡ぐ』っていう曲をバックで流しながら見たら、世界入り込めるからおすすめ
これ程完成され、外連味のないアニメはないぞ
この機を逃すな
#進撃の巨人 pic.twitter.com/qxyXgJNCa1— ロナウド夫妻🇯🇵 (@uhtoq) March 22, 2025
外連味のある作品と外連味のない作品には、明確な表現上の違いがあります。外連味のない作品は、基本的に現実的な描写や論理的な展開を重視し、過剰な演出や誇張表現を抑えた作風となっています。
まず視覚表現の面では、外連味のない作品は正確な解剖学や物理法則に基づいた動きを重視します。例えば、キャラクターが走る時の姿勢や体重移動、重力に従った動きなど、リアルな世界の法則に沿った表現が特徴です。これに対して外連味のある作品では、キャラクターが怒った時に頭上に怒りマークが浮かんだり、驚いた時に目が飛び出したりといった現実ではあり得ない表現が用いられます。
また、演出面でも大きな違いが見られます。外連味のない作品では、カメラワークや画面構成が映画的で、不必要な動きやエフェクトを排除した洗練された演出が特徴です。一方、外連味のある作品では、画面が割れたり、背景が抽象的なパターンに変わったり、時には画面が回転したりと、視聴者の感情を高ぶらせるための奇抜な演出が多用されます。
ストーリーテリングの面でも違いがあります。外連味のない作品は因果関係や論理的な展開を重視し、突飛な展開や無理な設定の変更を避ける傾向があります。登場人物の行動や物語の進行が納得感を持って描かれます。これに対して外連味のある作品では、「とにかく盛り上がれば良い」という考えのもと、時には論理的な飛躍や予想外の展開を取り入れることで視聴者を驚かせる効果を狙います。
代表的な外連味のない作品の例としては、高畑勲監督の「火垂るの墓」や「おもひでぽろぽろ」などが挙げられます。これらの作品では、人間の動きや感情表現が抑制的かつ写実的に描かれており、過剰な演出効果はほとんど見られません。また近年では「この世界の片隅に」のような戦時下の日常を丁寧に描いた作品も、外連味を抑えた表現で高い評価を得ています。
なぜ外連味のない作品が存在するのでしょうか。それは、リアリズムを追求することで別種の感動や共感を生み出すことができるからです。過剰な演出や誇張がないからこそ、観る者は作品の世界により深く没入できることがあります。また、繊細な感情表現や日常の機微を描く際には、派手な演出よりも抑制的な表現のほうが効果的な場合が多いのです。
前述の通り、外連味のない作品では特に日常の何気ない瞬間や人間関係の機微を描く際に強みを発揮します。例えば、草原を歩く主人公の足元に小さな虫がいる様子や、風で揺れる木の葉の描写など、細部へのこだわりが作品の説得力を高めます。こうした繊細な表現は、派手な外連味では描き出せない豊かな世界を創り出すのです。
外連味のある作品とない作品の違いを理解することは、アニメという表現媒体の幅広さを知ることにもつながります。どちらのアプローチも、それぞれの目的のために発展してきた正当な表現技法であり、アニメーション史の中で共存しながら進化してきたものなのです。
CGと手描きアニメの外連味の差
プリコネアニメもそうだけど七冠の戦闘はCG使うの好き
普通のアニメだとCGって絵柄の違いから異物感でるけど七冠の場合は普通の魔法とかとは違う理外の攻撃感があって外連味効いてる気がする pic.twitter.com/qAk7Nzztzv— ヴァシリ (@AshiriVu) March 11, 2025
CGアニメーションと手描きアニメーションは、外連味の表現方法において根本的な違いがあります。それぞれの技術的特性から生まれる表現の差異は、作品の印象や視聴者の受け止め方にも大きな影響を与えています。
手描きアニメーションにおける外連味は、主に「省略と誇張」によって表現されます。例えば、キャラクターが驚いた時に体が伸びる、怒った時に頭が大きくなる、悲しい時に涙が滝のように流れるなど、現実ではあり得ない誇張された表現が可能です。これらは、アニメーターが意図的に物理法則を無視することで実現される表現技法です。特に日本のアニメ文化では「間(ま)」の取り方や「カメラワーク」など、独自の外連味表現が発展してきました。
一方、CGアニメーションの外連味は、技術的な特性から異なる形で表れます。CGでは基本的に3Dモデルを動かすため、物理演算や光の反射などをリアルに再現することは得意ですが、逆に言えば「物理法則を無視する」ような表現には制約があります。そのため、CGでの外連味は「カメラワーク」や「特殊効果」、「光と影の強調」などを通じて表現されることが多いのです。例えば、実際のカメラでは撮影不可能な角度からの映像や、現実では起こり得ない光の変化などが、CG特有の外連味となります。
それぞれの表現技法における具体的な違いとして、「変形」の表現が挙げられます。手描きアニメでは、キャラクターの体が伸びたり縮んだりする「スクワッシュ&ストレッチ」という技法がよく使われます。これは一枚一枚描き直すことで自由自在に形状を変えられるという手描きならではの特性を活かしたものです。一方、CGではキャラクターモデルの変形には従来は制約がありましたが、近年のリギング技術の進歩により、手描きほど自由ではないものの、3Dキャラクターでも潰し伸ばしを盛り込む作品が増えています。
また「省略」の表現にも違いがあります。手描きアニメではカットによって、見せたいものだけを選択的に描くことができます。例えば、キャラクターの表情だけを大きく描いた「顔アップ」や、動きだけを強調した「線画のみ」のカットなどが可能です。対してCGでは、一度作られた3Dモデルは基本的に全体が描画されるため、手描きのような選択的な省略が難しいという特性があります。
手描きアニメとCGアニメのそれぞれの長所を活かした外連味の表現も近年増えています。例えば「鬼滅の刃」では、基本的な動きはCGで作り、その上から手描き風の線や効果を加えることで、CGの滑らかさと手描きの躍動感を融合させています。また「プロメア」では、CGでありながら意図的に手描きアニメのような「誇張」や「省略」を取り入れた独自の外連味表現を確立しています。
興味深いのは、CGアニメが技術的に発展するにつれて、あえて「不完全さ」や「ラフさ」を取り入れる傾向が出てきている点です。初期のCGアニメは技術的な制約から「滑らかさ」や「正確さ」を追求する傾向がありましたが、近年では「スパイダーマン:スパイダーバース」のように、あえてコマ落ちのようなエフェクトを入れたり、手描きのようなタッチを再現したりする作品が増えています。これはCGが技術的に成熟したからこそ可能になった、新しい形の外連味表現と言えるでしょう。
また、物理演算という面では、手描きアニメは物理法則を無視することが自在である一方、CGアニメは基本的に物理法則に従った動きをするという特性があります。しかし、CGでも近年は意図的に「物理法則を誇張する」表現が増えています。例えば、風の効果を過剰に付けて髪や服が大きく揺れる表現や、動きの軌跡を強調するための残像エフェクトなどです。これらは、CGならではの外連味表現として進化してきました。
最近は両者の境界が曖昧になりつつあり、手描きとCGを融合させた「ハイブリッド」な表現も増えています。例えば「鬼滅の刃」の「全集中」の視覚表現は、CGで基本的な動きを作りながらも、その上に手描き風のエフェクトを重ねることで、両方の良さを活かした外連味表現を実現しています。
こうした表現技術の進化は、アニメーションにおける外連味の可能性をさらに広げています。今後も手描きとCGそれぞれの特性を活かしながら、さらに新しい外連味表現が生まれていくことでしょう。それぞれのアプローチにはそれぞれの魅力があり、どちらが優れているというものではないのです。
総括:外連味のあるアニメ作品の特徴と表現技法|歌舞伎から現代作品まで
この記事をまとめると、
- 外連味(けれんみ)は歌舞伎や人形浄瑠璃に由来する演出手法である
- 本来は「正統でない」「邪道」という否定的意味を持っていた
- 現代ではエンターテイメントにおける派手で大胆な演出を指す肯定的表現となった
- アニメでは物理法則を無視した表現や誇張された動きに外連味が見られる
- 「SHIROBAKO」の作画担当・遠藤のセリフ「外連味を出す」が典型的な用法である
- TRIGGER社やガイナックス系作品は外連味の強いアニメとして知られている
- 庵野秀明監督の「トップをねらえ!」は外連味の代表的作品である
- 「スーパーイナズマキック!」などの掛け声と派手な演出が外連味の好例だ
- 「エヴァンゲリオン」では抑制的表現と派手な外連味の対比が効果的に使われている
- 外連味のない作品は現実的描写や論理的展開を重視する
- 高畑勲監督の「火垂るの墓」や「おもひでぽろぽろ」は外連味を抑えた表現が特徴だ
- 手描きアニメの外連味は「省略と誇張」によって表現される
- CGアニメの外連味はカメラワークや特殊効果、光と影の強調などで表現される
- 近年はCGと手描きを融合させた「ハイブリッド」な外連味表現も増えている
- 外連味は単なる「誤魔化し」ではなく「エンターテイメントの真髄」である