アンダーテール(Undertale)を考察すると見える怖い真実

アンダーテール(Undertale)を考察すると見える怖い真実

nerdnooks・イメージ

アンダーテールは一見すると可愛らしいドット絵のRPGですが、その物語を深く考察していくと、恐ろしいまでに緻密な設定と衝撃的な真実が浮かび上がってきます。トビー・フォックスが作り上げたこの世界には、表面的な優しさの裏に隠された怖い仕掛けが数多く存在しているのです。

なぜ神ゲーと評価されるのか、主人公の正体は何者なのか、作者はどのような意図でこのゲームを設計したのか。作中の描写を丁寧に読み解いていくと、アンダーテールが単なる面白いゲームではなく、プレイヤー自身の倫理観や暴力性に鋭く切り込む哲学的作品であることがわかります。真実のラボで明かされるトラウマ級の実験内容や、フラウィという存在が持つ怖い意味なども、深く掘り下げる価値があるテーマです。

本記事では、公式設定と有力な考察を明確に区別しながら、アンダーテールの物語構造、キャラクター設定、そして隠されたメッセージを多角的に考察していきます。以下、True Pacifistルートを「Pルート」、Genocideルートを「Gルート」、Neutralルートを「Nルート」と表記します。

  • アンダーテールが神ゲーと呼ばれる革新的なゲームデザインの考察
  • フリスクとキャラという二人の主人公に関する怖い真実の考察
  • 真実のラボやアズリエルの変貌に隠された設定の深層考察
  • プレイヤー自身が物語の一部となる仕組みとその怖さの考察
目次

アンダーテールを考察すると怖い真実が見える

アンダーテールを考察すると怖い真実が見える

nerdnooks・イメージ

  • なぜ神ゲーと呼ばれるのか?革新性の考察
  • 主人公の正体に関する考察:フリスクとキャラの謎
  • 真実のラボの実験内容を考察:怖い背景
  • 作者が仕込んだメタ構造の考察
  • フラウィの正体を考察:怖いトラウマの源泉

なぜ神ゲーと呼ばれるのか?革新性の考察

アンダーテールが神ゲーとして評価される理由を考察していくと、RPGというジャンル自体への根本的な問いかけが見えてきます。従来のRPGでは「敵を倒してレベルを上げる」ことが絶対的な前提でした。しかしこのゲームは「誰も殺さなくていい」という選択肢を提示することで、ゲームにおける暴力の意味を問い直しているのです。

モンスターたちはそれぞれ固有の名前を持ち、家族がいて、夢や悩みを抱えています。パピルスは王室親衛隊に入ることを夢見ており、アンダインは地下世界のモンスターたちを守るために戦っています。こうした個性豊かな存在を、単なる「経験値」として殺すことの意味を、プレイヤーに突きつけてくるのです。

ゲームシステムの観点から見ていくと、戦闘中の「こうどう」コマンドが重要な意味を持ちます。敵モンスターと会話したり、褒めたり、なだめたりすることで、戦わずに解決できる仕組みになっています。これは、コミュニケーションによる問題解決という現実世界の倫理観をゲームに持ち込んだ革新的な設計といえるでしょう。

さらに不気味なのは、プレイヤーの選択が永続的に記録されるシステムです。Gルートを最後まで進め、キャラと「世界を元に戻す取引」をした場合、その記録が通常のセーブデータとは別の永続ファイルに残ります。その後セーブデータを削除してPルートをクリアしても、エンディングが不気味なものに変化してしまうのです。

この仕組みから見えてくるのは、作者が「ゲームの中でも行為には責任が伴う」というメッセージを伝えようとしている点です。仮想空間だから何をしても許されるわけではない、という倫理的な問いかけが、ゲームシステムそのものに組み込まれているのです。

また、フラウィやサンズといったキャラクターが「リセット」や「セーブ」の存在を認識している点も見逃せません。通常、ゲームキャラクターはプレイヤー側の操作を知覚しませんが、アンダーテールではその「第四の壁」を破ってきます。これによってプレイヤーは、自分がゲームの外側にいる安全な存在ではなく、物語世界から観察され、評価されている存在だと気づかされるのです。

主人公の正体に関する考察:フリスクとキャラの謎

アンダーテールの物語を考察する上で最も重要なのが、主人公の二重構造です。プレイヤーが操作するキャラクターは「フリスク」ですが、ゲーム開始時に名前をつけるのは「キャラ」という別の人物です。この構造には、作者の緻密な意図が隠されています。

公式設定として明らかなのは、以下の事実です。キャラは地下世界に落ちてきた最初の人間であり、すでに死亡しています。フリスクは8人目の人間として、ずっと後の時代に地下世界へ落ちてきました。名前入力で「Chara」と入力すると「ほんとうの なまえ。」と表示されることから、開始時の命名対象が最初の人間キャラであることは確実です。

ここで考察が分かれるのが、フリスクとキャラの関係性です。なぜフリスクは、キャラと因縁のある黄金の花が敷き詰められた花畑で目覚めたのでしょうか。ゲーム内の情報を総合すると、いくつかの仮説が浮かび上がってきます。

ファンの間で広く議論されている仮説の一つが「フリスクの身体はキャラの亡骸が蘇ったもの」という説です。アルフィーの実験により、ケツイ(決意)を注入された存在が復活する事例が示されています。ただしこれは公式に明言されておらず、あくまで有力な二次考察である点に注意が必要です。一方で「フリスクは別人として落ちてきた」という解釈も根強く存在しており、黄金の花畑で目覚める演出自体にも複数の解釈があります。

両者の服装を比較すると興味深い違いがあります。フリスクのストライプは2本(ピンクと青)ですが、オープニングや回想シーンに登場するキャラのストライプは1本(黄色)です。この視覚的な違いは、二人が別人であることを示す証拠といえます。

さらに作中の描写を総合すると、Gルートでキャラが語る言葉が重要な手がかりとなります。「私の中のニンゲンのタマシイ。私の中のケツイ。それは私ではなくお前のものだった」というセリフから、フリスクの身体やタマシイを借りて復活したものの、元々は別の存在であることが示唆されています。

ナレーションの正体についても、考察が存在します。ゲーム中のナレーション(戦闘中の敵情報やオブジェクトの説明)には、フリスクが知らないはずの情報が含まれています。このことから「ナレーション=キャラ」という解釈が一部で支持されていますが、これも公式に確定しているわけではなく、「メタ的なナレーター」や「プレイヤー本人」など複数の解釈が可能です。

この二重構造がプレイヤーのアイデンティティそのものを揺さぶってくる点は、戦慄すべき仕掛けです。私たちは本当にフリスクを操作しているのでしょうか、それとも背後に潜むキャラの影響を受けているのでしょうか。Gルートを進めるにつれて、この境界線は曖昧になり、最終的にキャラが前面に現れます。プレイヤーの選択次第で、操作している存在の性質が変化するという恐ろしい仕組みなのです。

真実のラボの実験内容を考察:怖い背景

真実のラボの実験内容を考察:怖い背景

nerdnooks・イメージ

Pルートで訪れることができる「真実のラボ」は、アンダーテールにおける最も衝撃的な場所です。ここで明かされる科学者アルフィーの実験内容を読み解くと、善意が倫理の境界を越えてしまう恐怖が浮かび上がってきます。

実験の目的は、モンスターのソウルを死後も存続させることでした。通常、モンスターは死ぬとすぐにチリとなり、ソウルも消滅してしまいます。しかし人間のソウルには「ケツイ」という要素があり、これが死後もソウルを存続させる鍵となっていました。アルフィーはこのケツイに着目したのです。

ラボの記録から明らかになるのは、実験の具体的な流れです。アルフィーはアズゴアが集めていた6人の人間のソウルから、ケツイを抽出することに成功しました。注意すべきは、抽出元が「人間の身体」ではなく「すでに死んでいる人間のソウル」である点です。

次に彼女は、そのケツイを「fallen down」状態(死にかけている状態)のモンスターに注入しました。理論上、これによってモンスターのソウルも人間と同様に死後存続するはずでした。しかし実験結果は、予想とは大きく異なるものだったのです。

ケツイを注入されたモンスターの身体はチリにならず、ソウルも抽出できませんでした。さらに恐ろしいことに、これらのモンスターは「アマルガム」という融合体となって生き続けたのです。複数のモンスターが溶け合い、意識も混濁した状態で苦しみ続ける存在となりました。

この実験における倫理的な重さは、アルフィーの動機が純粋だった点にあります。彼女はモンスターたちを地下世界から解放したいという善意から研究に取り組んでいました。しかし善意と科学的探求心が、取り返しのつかない悲劇を招いてしまったのです。

ラボの記録には、遺族への対応に苦悩するアルフィーの様子が記されています。「みんなの家族にもうすぐ帰れると言ってしまった」という記述から、彼女がどれほどの罪悪感に苛まれていたかが推察できます。真実を告げることができず、一人で抱え込み続けた恐怖は計り知れません。

この設定は、現実世界の倫理的問題とも重なります。医学実験や遺伝子操作など、科学の発展と倫理の境界線という普遍的なテーマが描かれているのです。アンダーテールの怖さは、こうした現実的な問題を寓話として表現している点にもあるといえるでしょう。

作者が仕込んだメタ構造の考察

トビー・フォックスの天才性は、プレイヤーとゲームの関係性そのものを作品のテーマに組み込んだ点にあります。このメタ構造には、表面的な優しさの裏に潜む不気味な仕掛けが隠されています。

最も巧妙なのが、ゲーム開始時の命名シーンです。この仕掛けによって、プレイヤーは知らないうちに問題のある人物と同一化させられています。詳細については後の章「命名ミスリードの意図を考察」で掘り下げます。

メタ構造のもう一つの重要な要素が、「第四の壁の破壊」です。フラウィは「お前はゲームをやり直せるんだろ?」と、まるでプレイヤーに直接語りかけてきます。サンズも「ロードとセーブ」の存在を認識しており、「何度も同じことを繰り返している」ことを知っています。

この演出には、プレイヤーに居心地の悪さを与える狙いが隠れていると見られます。ゲームキャラクターが、プレイヤー側の世界を認識しているという状況は、本来あってはならないものです。しかしアンダーテールでは、それが物語の核心的な要素となっています。私たちは観察する側ではなく、観察される側にもなっているのです。

音楽の使い方も考察に値します。「Megalovania」や「Hopes and Dreams」といった壮大な楽曲は、戦闘シーンを盛り上げる一方で、プレイヤーが行っている行為の重さを強調する効果も持っています。感情を揺さぶることで、恐怖や罪悪感がより深く刻まれる仕組みになっているのです。

フラウィの正体を考察:怖いトラウマの源泉

フラウィの正体を考察:怖いトラウマの源泉

nerdnooks・イメージ

フラウィ(Flowey)は、多くのプレイヤーにとってアンダーテール最大のトラウマ要素です。その正体を読み解くと、このゲームが持つ恐怖の本質が見えてきます。詳細なメカニズムについては、後の章「アズリエルはなぜ花の姿になったのか?」で科学的に掘り下げます。

Pルートをクリアすると明かされますが、フラウィの正体は死んだはずのアズリエルです。アズリエルは王家の息子であり、キャラと兄弟のように育った純粋な心を持つモンスターでした。しかし、キャラの計画に巻き込まれ、外界で人間に攻撃されて命を落としました。ここまでは悲劇的な物語ですが、本当の恐怖はその後に始まります。

アズリエルが死んだとき、彼のチリ(モンスターの身体が変化したもの)は城の庭全体に舞い散りました。その後、アルフィーがモンスターのソウルを保存する器を探していた際、城の庭にあった「きんいろの花」を実験対象に選びました。彼女は「ソウルを持たないもの」として花にケツイを注入したのです。

ラボの記録と作中描写を踏まえると、ケツイを注入された花の器が、花畑に残っていたアズリエルのチリから彼の本質を吸収し、意思を持つようになったと解釈する説が有力です。つまり、ソウルを持たないはずの花に、アズリエルの意識が宿ったのです。

ここで注目すべき恐ろしい点は、アズリエルがソウルのない存在として復活してしまったことです。ソウルを失っているため、愛情や共感といった感情を感じることができません。しかし意識と記憶は残り、ケツイの力でセーブとロードが可能になりました。愛や思いやりのない不死者として生き続けることを強いられたのです。

フラウィの行動パターンには、その絶望的な状況が表れています。最初は誰も殺さずにモンスターたちと友達になろうとしました。しかし、愛情を感じられないため何の充足感も得られませんでした。そこで次は、全員を殺してみました。それでも虚無は埋まりませんでした。

つまり、フラウィは私たちプレイヤーが行う「やり込みプレイ」を、物語世界の住人として実行していたのです。彼は飽きるまで、あらゆる可能性を試し尽くしました。そして最終的に、新しい人間(フリスク)が落ちてくることだけを待ち望むようになったのです。

こうした描写から浮かび上がるのは、永遠の生と無限の可能性が必ずしも幸福ではないという哲学的テーマです。愛情や共感を感じられない不死者として生き続けることは、究極の地獄でしょう。フラウィの「キミたちと遊びたかっただけなんだ」という叫びは、孤独と虚無に苦しんだ魂の悲鳴なのです。

さらにトラウマ級に怖いのが、Gルートの最後に見せる「Photoshop Flowey」の姿です。6つの人間のソウルを取り込んだフラウィは、おぞましい姿へと変貌します。画面を破壊し、セーブデータを操作し、何度も何度もプレイヤーを殺すフラウィは、まさに狂気そのものです。この戦闘シーンは、多くのプレイヤーにトラウマを残しました。

アンダーテールの怖いストーリーを考察

アンダーテールの怖いストーリーを考察

nerdnooks・イメージ

  • アズリエルはなぜ花の姿になったのか?科学的考察
  • アズリエルは何をしたかったのか?計画の真相を考察
  • キャラ(一人目)の人物像を考察:怖い本性
  • Gルートから見えるプレイヤーの闇を考察
  • 命名ミスリードの意図を考察:怖い仕掛け

アズリエルはなぜ花の姿になったのか?科学的考察

アズリエルが花の姿で復活した経緯を詳しく読み解くと、物理的要因と科学的要因が複雑に絡み合っていることがわかります。この変貌には、偶然と必然が交差する怖い運命が隠されています。

まず、物理的な経緯を整理しましょう。アズリエルは外界で人間に攻撃され、瀕死の状態で地下世界に戻ってきました。そして城の庭で力尽き、彼の身体はチリとなって庭全体に舞い散りました。このとき、チリが降りかかった場所に「きんいろの花」が咲いていたのです。

この花の出自には興味深い背景があります。ラボの記録には「外の世界から来たと思われる黄金の花が城の庭に現れた」「王家の悲劇や別居の前後に関連づけて語られている」とあります。アズリエルが外界に出たときの記述には「アズリエルは外の世界で1人目の死体をきんいろの花のベッドに横たえた」とあり、この時の接触によって種が持ち込まれたと推測できます。

植物学的な観点から見ると、いわゆる「ひっつき虫」のような種子が、キャラの死体やアズリエルの身体に付着していた可能性が高いでしょう。こうして運命的に、アズリエルと深い縁のある花が地下世界に根付いたのです。

次に、科学的な要因を読み解きます。アルフィーはモンスターのソウルを保存する器を探していました。そして「ソウルを持たないもの」として、この花を実験対象に選んだのです。彼女は花にケツイを注入しました。

ラボの記録と作中描写を踏まえると、ケツイを注入された花の器が、花畑に残っていたアズリエルのチリから彼の本質を吸収し、意思を持つようになったと解釈する説が有力です。ソウルは失われているため愛情や共感を感じることはできませんが、意識と記憶は残り、ケツイの力でセーブとロードが可能になりました。

この変貌における倫理的な重さは、アズリエルが望んでいない形で復活させられた点にあります。彼は安らかに死ぬことを望んでいました。「僕は正しいことをした。後悔しないよ」という最期の言葉がそれを示しています。しかし、アルフィーの善意による実験によって、愛情や共感を感じられない不死者として生き続けることを強いられたのです。

なぜ「花」という形態だったのかを考察すると、物語的な必然性が見えてきます。花は動くことができず、誰かに世話をされることもなく、ただその場に存在し続ける孤独な生き物です。この姿は、アズリエルの絶望的な状況を象徴しているといえるでしょう。愛情や共感を失い、虚無の中で永遠に生き続ける存在として、これ以上ない形態だったのかもしれません。

アズリエルは何をしたかったのか?計画の真相を考察

アズリエルとキャラが企てた計画を詳しく読み解くと、表面的な目的と隠された真意の乖離が見えてきます。この計画の真相には、純粋さと狂気が入り混じった構図が存在しています。

計画の概要を整理しましょう。キャラがバターカップの花の毒で自死し、そのソウルをアズリエルが吸収します。人間とモンスターのソウルを1つずつ持つことでバリアを突破できるため、アズリエルは外界に出ます。そこで6人の人間を殺してソウルを奪い、合計7つの人間のソウルを持ってバリアを破壊し、モンスターたちを解放するというものでした。

しかし、この計画には大きな疑問があります。なぜキャラは自分が死ぬ必要があったのでしょうか。この疑問の答えは、ソウル抽出の仕組みにあります。ゲーム内の記録によれば「生きたモンスターからソウルを抽出するにはすさまじいパワーが必要で、ソウルを抜いた瞬間に本体が死亡する」とあります。つまり、ソウルを取り出すには対象が死ぬ必要があったのです。

キャラはこの事実を知った上で、自ら毒を飲みました。ここで注目すべきは、この計画が誰の発案だったのかという点です。アズリエルのセリフからは、明らかにキャラが主導していたことがうかがえます。「こんな計画もういやだ」「あいつがこういったんだ『全力で攻撃しよう』って。でも僕は反対した」という言葉が、それを裏付けています。

では、アズリエル自身は何を望んでいたのでしょうか。彼の動機を考察すると、純粋にキャラを助けたかっただけだと推測されます。キャラが地下世界に落ちてきて以来、二人は兄弟のように育ちました。アズリエルにとってキャラは大切な家族だったのです。だからこそ、キャラの願いを叶えたいと思ったのでしょう。

しかし、実際に計画が実行され、キャラが死んでしまった現実を目の当たりにすると、アズリエルは恐怖に震えました。ビデオテープの記録には「お花を取ってくるね」というアズリエルのセリフがあり、彼がキャラの自死計画を知っていたことがわかります。それでも、実際に大切な家族が死ぬ瞬間を見たとき、計画の恐ろしさを痛感したのです。

それでも、すでにキャラのソウルを吸収してしまった以上、引き返すことはできません。アズリエルはキャラの死体を抱えて外界に出ていきました。この選択には、なぜ死体を持って行ったのかという疑問が残ります。

セリフや回想を総合すると、キャラとアズリエルのソウルが融合したとき、身体の主導権も二人で分け合っていたと解釈できます。つまり、1人目の死体は、アズリエルではなくキャラの意思によって持ち出されたと推測されます。キャラが主導権を握るには、近くに自分の本体(死体)がなければならなかったのでしょう。

外界では、予想通り人間たちが攻撃してきました。キャラのソウルは「全力で攻撃しよう」と主張しましたが、アズリエルは拒否しました。彼は「人間と戦争なんてしたくなかった」のです。結局、アズリエルは反撃せず、ボロボロになりながらも地下世界に帰還しました。

この選択から見えてくるのは、アズリエルの本質的な優しさです。彼はモンスターたちを解放することよりも、人間を傷つけないことを選びました。キャラの計画に協力したのは、大切な家族のためでした。しかし最終的には、自分の良心に従って行動したのです。この純粋さこそが、後にフラウィとして復活したときの虚無感を、より一層際立たせる結果となりました。

キャラ(一人目)の人物像を考察:怖い本性

キャラ(一人目)の人物像を考察:怖い本性

nerdnooks・イメージ

キャラ(一人目)の人物像を詳しく読み解くと、表面的な優しさの裏に潜む不気味な本性が浮かび上がってきます。公式設定として明らかなのは限られた情報ですが、その断片から推察される人物像には、怖いほどの二面性が存在しています。

まず、キャラの行動を時系列で整理してみましょう。彼女(または彼)は「そんないいものじゃなかった」理由でイビト山に登り、地下世界に落ちました。この表現から推察されるのは、自死の意図があった可能性です。地下世界では王家に助けられ、アズリエルと仲良く暮らしました。しかし水面下では、モンスターを解放するという名目で、実際には人間への復讐を企てていたのです。

キャラの異常性を示す証拠として、まず挙げられるのがバターカップの毒性を発見したときの反応です。ビデオテープの記録によれば、アズゴアが誤って毒花を口にして苦しむ姿を見て、キャラは「笑い飛ばしていた」のです。家族が苦しんでいるのに笑うという行為は、共感性の欠如を明確に示しています。

こうした行動パターンには、共感性が乏しく、他者の痛みに鈍感な性質が表れています。良心の欠如、罪悪感を感じない、口が達者で表面は魅力的といった点は、かなり歪んだ価値観や共感性の低さがうかがえます。ただし、作中や作者コメントでこうした診断的表現は一切出てこないため、あくまで行動パターンの分析として考察する必要があります。

第二に、自死を厭わない異常性があります。目的のために自ら毒を飲んで死ぬという選択は、常軌を逸しています。しかも、それを計画的に実行したのです。アズリエルが「こんな計画もういやだ」と震えるほど、恐ろしい計画でした。普通の人間であれば、どれほど強い動機があっても、自死という手段を選ぶことは稀でしょう。

第三に、人間への強い憎しみです。アズリエルのソウルと融合したとき、キャラは「全力で攻撃しよう」と主張しました。その憎しみは「離してくれなかった」ほど強かったといいます。「理由や詳細を聞かずとも憎しみの強さが推し量れる」というアズリエルの言葉から、よほどの憎悪だったことがわかります。

しかし同時に、キャラはモンスターたちからは愛されていました。トリエルとアズゴアは彼女(彼)が死んだとき、深く悲しみました。アズゴアは「きみは人間とモンスターの未来を担うもの」と期待を寄せていました。この事実からうかがえるのは、キャラが周囲に好印象を与える能力に長けていたことです。二面性を使い分ける巧妙さは、確かに不気味な特質といえるでしょう。

ここで考察すべきは、なぜキャラがこれほどまでに人間を憎んでいたのかという点です。明確な理由は語られませんが、地上での生活が幸福ではなかったことは示唆されています。Pルートでアズリエルが語る「キミがイビト山に登った理由はそんないいものじゃなかった」というセリフから、辛い過去があったことが推察されます。

もしかすると、いじめや虐待、迫害といった経験があったのかもしれません。しかし、だからといって無関係な人間を殺すことが正当化されるわけではありません。キャラの計画は、個人的な恨みを晴らすために、罪のない人々を犠牲にするものでした。この点において、キャラの行動は倫理的に問題があるといえます。

さらに不気味なのは、この人物像がプレイヤーと結びつけられている点です。ゲーム開始時に私たちが名前をつけたのは、このキャラだったのです。Gルートを進めると、キャラの暴力性と憎しみがプレイヤーの行為によって呼び覚まされます。つまり、プレイヤー自身がキャラの本性を再現してしまう構造になっているのです。

Gルートから見えるプレイヤーの闇を考察

Gルート(虐殺ルート)を詳しく見ていくと、アンダーテールが持つ最も恐ろしいテーマが浮かび上がってきます。それは、プレイヤー自身の内面に潜む暴力性と、それを娯楽として消費する行為への鋭い批判です。

Gルートを進めるには、各エリアでそのエリアの遭遇数が0になるまでモンスターを倒し尽くす必要があります。単に戦闘で勝つだけでは不十分で、モンスターが出現しなくなるまで歩き回って探し続けなければなりません。この仕組みには、能動的な殺意がなければ不可能な設計だという点で意味があります。

つまり、Gルートを進めるプレイヤーは「うっかりモンスターを殺してしまった」のではなく、「意図的に全てを殺し尽くそうとしている」のです。この違いは決定的です。偶発的な暴力ではなく、計画的な虐殺を選択しているのです。

サンズは戦闘前に「お前は誰も殺す必要がなかった。でもお前は殺した」と指摘します。さらに「お前は好奇心からやっているだけだ」とも言います。これは、プレイヤーが「ゲームのやり込み」や「隠し要素の解放」といった娯楽目的で、虐殺を選択している事実を突きつけるのです。

Gルートが進むにつれて、ナレーションの口調が変化していきます。最初は客観的だったナレーションが、次第に冷淡で残酷なものになっていくのです。「敵ではない」「敵を一掃した」といった表現が増え、まるでプレイヤーの殺意を代弁するかのようになります。

これは、キャラの意識が強まっていることを示唆しています。モンスターを殺せば殺すほど、LOVE(Level of Violence、暴力のレベル)が上がり、キャラの影響力が増していくのです。つまり、プレイヤーの行為そのものが、キャラを復活させる力となっているのです。

Gルートの最後、キャラはプレイヤーに語りかけます。「お前の力で私は死の淵から蘇った」「数字が大きくなるたびにお前が感じたもの…それが私」と。ここから読み取れるのは、プレイヤーの殺意と快楽こそが、キャラの本質だということです。私たちがモンスターを殺すたびに感じた達成感や満足感が、キャラという存在を形作っていたのです。

さらに不気味なのは、Gルートをクリアした後の影響です。詳しい仕様は前述の通りですが、Gルートを最後まで進め、キャラと「世界を元に戻す取引」をした場合、その記録が永続ファイルに残り、再びPルートをクリアしてもエンディングが不気味なものに変化します。フリスクの顔がキャラに置き換わり、仲間たちの顔には赤いバツ印がつくのです。

この演出が示すのは、「一度行った行為は取り消せない」という現実です。ゲームの世界でさえ、虐殺という選択をした事実は消えないのです。これは、現実世界における倫理的責任と重なります。私たちの選択には、常に結果が伴うのです。

Gルートにおける倫理的な重さは、プレイヤー自身が「悪」になることを選択させられる点にあります。そして、その選択が好奇心や娯楽という動機から生まれている事実を突きつけられるのです。アンダーテールは、ゲームという安全な空間においてさえ、暴力には責任が伴うことを教えてくれます。作者は、私たちに問いかけているのです。「あなたは本当に、ただ楽しむために殺したのですか?」と。

命名ミスリードの意図を考察:怖い仕掛け

命名ミスリードの意図を考察:怖い仕掛け

nerdnooks・イメージ

ゲーム開始時の命名シーンを詳しく見ていくと、アンダーテール全体を貫く恐怖の種が撒かれる瞬間だとわかります。「落ちた人間の名前は?」という問いに、ほとんどのプレイヤーは自分の名前や好きな名前をつけます。しかしこれは操作キャラクター(フリスク)ではなく、すでに死んでいる「最初の人間」キャラに名前をつける行為だったのです。

このミスリードは単なるトリックではありません。作者トビー・フォックスの意図から見えてくるのは、プレイヤーとキャラを結びつけることが、ゲーム全体のテーマを成立させる核心だという点です。なぜなら、この結びつきによって、プレイヤー自身が物語の当事者となる仕組みが完成するからです。

考えてみてください。私たちが名前をつけた存在は、人間への強い憎しみを持ち、復讐のために自死を選び、無関係な人間を殺そうとした人物です。しかし名前をつけた時点では、私たちはそのことを知りません。つまり、知らないうちに問題のある人物と同一化させられているのです。

「Chara」という名前を入力すると「ほんとうの なまえ。」と表示されます。ここから読み取れるのは、制作者側があらかじめ設定していた名前であり、プレイヤーが名付ける行為自体が、実は既に存在していた人物への命名だったことです。偶然ではなく、設計された仕掛けだったのです。

さらに、ゲーム内のキャラクターたちがフリスクを決して名前で呼ばない点も重要です。トリエル、サンズ、パピルス、アンダイン、アルフィー、メタトンなど、全員が「あなた」「お前さん」「きみ」「人間」といった二人称や種族名で呼びます。ここから読み取れるのは、プレイヤーがつけた名前が操作キャラクターのものではないことを暗示する伏線だったということです。

Pルートの最終盤まで進んで初めて、アズリエルが「フリスク」という本当の名前を呼んでくれます。この瞬間、多くのプレイヤーは自分が操作していたキャラクターが誰なのか、ようやく理解することになります。後から見返すと、実に緻密な設計だと気づかされるのです。

この命名ミスリードが持つ不気味さは、プレイヤーのアイデンティティを揺さぶる仕掛けだという点にあります。私たちは誰を操作しているのでしょうか。フリスクでしょうか、それともキャラでしょうか。NルートやPルートでは、フリスクとして行動している実感があります。しかしGルートでは、明らかにキャラの影響が強まっていきます。

つまり、プレイヤーの選択によって、操作している存在の性質が変化するのです。平和的な選択をすればフリスクとして、暴力的な選択をすればキャラとして。ここから見えてくるのは、人間の二面性を表現しているということです。誰の心にも、優しさと暴力性の両方が存在しているのです。

なぜ作者がこのような仕掛けを用意したのかを考察すると、プレイヤーに自己反省を促すためだと推測されます。私たちは普段、ゲームの中で罪悪感なく暴力を振るいます。しかし、その行為に名前がつき、記憶され、結果が残るとしたらどうでしょうか。

命名ミスリードは、プレイヤーの行為に責任を持たせる装置なのです。あなたがつけた名前の存在が、あなたの選択によって蘇り、あなたの行為を正当化します。つまり、キャラの本性は、プレイヤー自身の鏡なのです。この構造こそが、アンダーテールが名作と呼ばれる理由でしょう。私たちは、自分自身の暗い部分と向き合わされるのです。

総括:アンダーテール(Undertale)を考察すると見える怖い真実

  • アンダーテールは「誰も殺さなくていいRPG」として、ゲームにおける暴力の意味を問い直す革新的な作品である
  • プレイヤーの選択が永続的に記録されるシステムにより、仮想空間の行為にも責任が伴うことを示している
  • フリスクとキャラという二つの存在がプレイヤーを取り巻き、選択によってどちらの側面が前面に出るかが変わると解釈できる
  • フリスクとキャラが別人であることは公式設定だが、両者の詳細な関係性については複数の解釈が存在する
  • 真実のラボではアルフィーが人間のソウルからケツイを抽出し、死にかけのモンスターに注入する実験を行った
  • 実験の結果、モンスターたちはアマルガムという融合体となり、意識混濁のまま苦しみ続ける存在となった
  • アルフィーの実験は善意から行われたものであり、倫理と科学の境界という普遍的テーマを描いている
  • フラウィの正体はアズリエルであり、チリが降りかかった花にケツイが注入されたことで彼の本質が宿ったと解釈されている
  • ソウルを失ったアズリエルは愛情や共感を感じられず、永遠の虚無に苦しむ存在としてフラウィになった
  • アズリエルとキャラの計画は表面上モンスター解放が目的だったが、実際にはキャラ主導の復讐計画だったと解釈できる
  • キャラは共感性が乏しく、他者の痛みに鈍感な行動パターンなど、かなり歪んだ価値観がうかがえる特徴を示している
  • Gルートはプレイヤーの能動的な殺意を前提とした設計であり、好奇心による暴力を可視化する
  • Gルートを最後まで進め、キャラと取引をすると永続ファイルに記録が残り、以後のPルートエンディングも変化する
  • 命名ミスリードはプレイヤーとキャラを結びつける仕掛けであり、知らないうちに問題のある人物と同一化させられる
  • アンダーテールは表面的な優しさの裏に、プレイヤー自身の暴力性や倫理観を問う怖い真実を隠している
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次