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映画「N号棟」を観て、あの結末の意味が分からず混乱していませんか。団地で起きた出来事は現実なのか、それとも何か別の意味があるのか。萩原みのり主演のこの作品は「考察型恐怖体験ホラー」と銘打たれているだけあって、答えを明かさないまま終わるため、多くの視聴者が解釈に悩んでいます。
実は、この映画には大量の考察ネタが仕込まれており、それらを紐解いていくと全く違った物語が見えてきます。団地での出来事が史織の脳内世界で創られた妄想であるという解釈を軸にすると、一見すると理解不能に思えた数々のシーンが驚くほど整合性を持って繋がっていくのです。
本記事では、映画内に散りばめられた伏線や謎を一つ一つ丁寧に分析し、N号棟の考察を深めていきます。
- 団地での出来事が史織の妄想世界である可能性と、現実との境界線
- タナトフォビア克服のためのセラピーという解釈の根拠
- 生者と死者の見え方の法則、住人の服の色が示すと思われる意味
- 史織の本当の性格、人間関係、そしてラストシーンの解釈
N号棟の考察:団地は史織の妄想世界という解釈

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- 団地での出来事は史織の脳内世界
- 現実と妄想の境界線はどこか
- タナトフォビア克服のセラピー説
- 教授が黒幕である根拠
- 生者と死者の見え方の法則
団地での出来事は史織の脳内世界
N号棟で最も興味深い考察ポイントは、団地に行ってからの展開が史織の現実ではなく、脳内世界で創られた妄想であるという解釈です。これは一見すると突飛な解釈に思えるかもしれません。ただ、映画内の様々な描写を注意深く観察すると、この解釈を支持する要素が数多く存在していると言えます。
まず注目すべきは、団地での出来事と史織の好きなホラー映画との類似性です。映画内には「ミッドサマー」「ヘレディタリー/継承」「ハンニバル」「サイコ」「ホステル」といった作品を連想させるシーンが頻繁に登場します。加奈子がミイラ化した旦那と暮らしているシーン、住人たちが謎のダンスを踊るシーン、人体を解体しているホステル男のシーンなど、これらは全て著名なホラー映画のオマージュとして解釈できるのです。
さらに、史織が抜けたサークルは映画サークルであったという考察もあります。啓太と真帆がロケハンに行っていることから、実際に映画を撮影するタイプのサークルだったと推測されます。つまり史織は映画制作の知識を持っており、自分の脳内で映画的な世界を構築する能力があったと見ることもできるわけです。
団地で起こる超常現象や住人たちの異常な行動は、史織が好きなホラー映画の要素が投影された結果であり、現実の出来事ではなく脳内で創造された物語だという解釈が成り立ちます。
また、実在の幽霊団地事件も妄想のベースになっている可能性があります。2000年前後に岐阜県富加町で起きた「幽霊団地事件」では、食器が飛び出す、扉が勝手に開く、走り回る音がするといったポルターガイスト現象が報告されました。映画がこの事件をモチーフにしているのは公式にも明記されており、史織の脳内世界にもこの実在の事件が反映されていると考えることができます。
現実と妄想の境界線はどこか
ずっと不穏な感じが続く…🤨
途中、某映画の 祝祭が始まる…ってキャッチコピー思い出した😮
夢か幻か現実かそれとも…🤔
確かにキャッチコピーの様な印象を受ける😑🎬️「N号棟」 pic.twitter.com/3bkwV1SSlO
— むーす (@herazikamoose) September 15, 2025
では、映画のどこからが妄想で、どこまでが現実なのでしょうか。この境界線を見極めることが、N号棟を理解する上で極めて重要になります。
冒頭から病院のシーンまでは現実の出来事だと解釈できます。ここでは史織の日常生活が描かれており、大学での講義、友人たちとの会話、夜のリプ返しといったシーンが続きます。この時点で既に史織がタナトフォビア(死恐怖症)に囚われ、予定を埋めることで不安を紛らわせようとしている様子が描かれています。
妄想世界への入り口は、団地へ向かうシーンという解釈があります。啓太と真帆と共に車で移動し、団地の敷地に足を踏み入れた瞬間から、史織は脳内世界に入っていくという見方です。この説に立つと、ここから先の団地での出来事は全て史織の妄想ということになります。
そして興味深いのは、教授の部屋で現実に戻るという解釈です。団地での経験を終えた史織が教授の部屋を訪れるシーンがありますが、ここで脳内世界から現実世界へと帰還していると考えられています。教授の部屋で史織が「どこへ行ったんですか」と尋ねますが、部屋にいた先生は耳に手を当てており、おそらく誰かと通話していただけで史織とは会話していないように見えます。このシーンは、史織がまだ完全には現実に適応できていない状態を示唆しているのかもしれません。
教授の部屋以降は現実のシーンという解釈が可能です。学校の入口で人が行き交うのを見ている史織の姿、そして最後に母親の管を抜く決断をするシーンも、全て現実世界での出来事と読むことができます。
タナトフォビア克服のセラピー説

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なぜ史織は自ら妄想世界を創り出したのでしょうか。その答えは、タナトフォビア克服のためのセラピーという解釈にあります。
タナトフォビアとは死恐怖症のことで、死に対する極度の恐怖を抱く精神症状です。作品内でも明示されているように、史織は母親が植物状態になっていることもあり、死というものに強い恐怖を感じていました。だからこそ一日を充実させなければならないという強迫観念に囚われ、予定を詰め込み、夜遅くまで起きて朝は早く起きるという無理な生活を続けていたのです。
団地での経験は、この死への恐怖を克服するためのセラピーとして機能しているという見方ができます。妄想世界の中で史織は、死者と生者が共存する異常な状況に直面し、自らも死を疑似体験します。監禁部屋でのシーン以降、史織の行動パターンが変わっていることから、何らかの変化が起きたと解釈することもできるでしょう。
この死の疑似体験を通じて、史織は「死んでも魂は残り、身近な人のそばにいられる」という新たな死生観を獲得していくというストーリーラインが見えてきます。加奈子が亡くなった旦那のミイラと暮らし、「今まで仲良く暮らしているのよ」と語るシーンは、まさにこの死生観を象徴していると言えます。
物語のクライマックスで、史織は真帆と啓太をナイフで刺し、自分も刺すという行為に及びます。これを現実の殺人ではなく、妄想世界の中での儀式的な行為と見る解釈があります。教祖が「よくできました」と声をかけるのは、史織が死への恐怖を克服するセラピーを完遂したことを意味しているのかもしれません。
教授が黒幕である根拠
【N号棟】
"死恐怖症"を抱える史織と同じ大学の啓太•真帆は映画制作の為、怪奇現象が多く起こる団地に行く事に。
考察型体験ホラーというだけあって複雑過ぎる設定だが様々なホラーのオマージュがあったり作品のホラー感も強めで楽しめました!制作者の情熱も伝わった👏
考察好きな方へオススメ🎬 pic.twitter.com/w9y56nukEh— JOKER (@itanji_88) October 1, 2023
この妄想セラピーを史織に伝授した黒幕は、大学の教授だという説があります。なぜそう考えられるのか、いくつかの根拠を挙げていきましょう。
まず、先ほど触れたように、教授の部屋で現実に戻るという構造自体が教授の関与を示唆しています。妄想世界から現実世界への出口が教授の部屋であるということは、教授がこのセラピーの管理者であることを意味している可能性があるのです。
また、教授の部屋には団地で見たような模様があります。史織が教授の部屋を訪れたとき、机の上にその模様を発見して驚くシーンがありますが、これは教授が団地の妄想世界と深く関わっていることを示唆していると解釈できます。おそらく教授は、幽霊団地事件を研究しており、それを利用したセラピー手法を開発していたのではないかという推測が成り立ちます。
さらに、冒頭の講義シーンでも教授の存在感が描かれています。教授は学生たちに何かを説明していますが、その内容が後の団地での出来事と関連している可能性も考えられます。教授は史織のタナトフォビアを把握しており、彼女に適したセラピーとして妄想世界での体験を勧めたのではないかという見方です。
ただし、教授が悪意を持っていたわけではないと思われます。むしろ史織を救おうとして、このセラピー手法を提案した可能性が高いでしょう。結果として史織はタナトフォビアを克服し、自然体で暮らせるようになっていくように見えます。
生者と死者の見え方の法則

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団地パートが史織の妄想世界だとしても、なんでもありな世界ではありません。妄想世界には独自のルールが存在しており、そのルールに従って物語が進行していると考えられます。特に重要なのが、生者と死者の見え方に関する法則です。
当初は「生者からは死者が心霊現象としてのみ知覚される」「死者同士は普通に見える」といった単純な法則を想定できますが、実際にはもう少し複雑だという解釈があります。一つの見方として、謎の飲み物を飲んだかどうかで見え方が変わるという説が存在します。
謎の飲み物を飲んでいない人からは、死者は心霊現象としてのみ知覚されるようです。ポルターガイスト現象が起きる、三谷のように霊として見える、三谷旦那のようにカメラ越しでのみ見えるといった形です。一方、謎の飲み物を飲んだ人からは、死者が生者と同じように普通に見えるという法則が読み取れます。
この法則を支持する描写がいくつかあります。真帆が死んだはずの三谷と会話するのは、謎の飲み物を飲んだ後です。啓太と真帆が屋上で三谷一家を見るシーンも、啓太が謎の飲み物を飲んだ後の出来事です。史織がホステル男の霊体に襲われるシーンも、謎の飲み物を飲んだ後に起こっています。
団地二日目の昼の心霊現象では、既に謎の飲み物を飲んでいると思われる倫太郎君には父親の霊が見えて指をさしていますが、まだ飲んでいない史織と啓太には肉眼では見えておらず、カメラ越しにのみ見えています。この描写から、謎の飲み物が死者を見る能力を与えるという解釈が生まれています。
| 状況 | 生者の見え方 | 死者の見え方 |
|---|---|---|
| 謎の飲み物を飲む前 | 普通に見える | 心霊現象としてのみ知覚 |
| 謎の飲み物を飲んだ後 | 普通に見える | 普通に見える(生者と同様) |
N号棟の考察:隠された伏線を読み解く

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- 史織の本当の性格と人間関係
- 団地での性格変化の意味
- 住人たちの服の色が示すもの
- 史織が霊体化していた可能性
- ラストシーンに隠された真実
史織の本当の性格と人間関係
初見で映画を観ると、史織は学生たちの中心にいて社交的な人物に見えます。ただ注意深く観察すると、実は全く違った姿が浮かび上がってくるという見方があります。史織は本来エキセントリックな性格でも社交的な性格でもなく、かなり無理をして生きている繊細な人物なのではないかという解釈です。
講義での会話シーンをよく見ると、学生たちは史織ではなく啓太に話しかけています。啓太の方に人気があるとも読み取れるわけです。実際、学校で史織が話しかけられて会話が始まるシーンは一つもありません。ほとんど史織から話しかけている様子が描かれています。
屋上でジュースを飲んでいるところも、孤独を感じさせるシーンです。明日うちで鍋をやろうと誘った件では、一人がキャンセルすると続々と続き、結局みんなにドタキャンされるという描写があります。おそらく、最初に誘った人がキャンセルして、他の人も「別に史織とはそんなに親しいわけじゃないし」とつられていったのでしょう。
このことから、史織はタナトフォビアによって一日を充実させなければならないという強迫観念に囚われており、本来そんな性格ではないのに無理して社交的に振舞おうとして、結局空回りしているという解釈ができます。こう見ると、胃が痛くなるような切なさが漂ってきます。
史織の強がりの性格も注目すべき点です。団地の敷地に入ったとき、管理人の諏訪太郎に入居希望で見学に来たと平気で嘘をついていました。わかりやすく嘘をつくシーンを入れているということは、他でも嘘をついている可能性を示唆しているのかもしれません。
講義のときの会話シーンで「男いるらしいよ」と言われていますが、啓太以外に男の影はありません。これも強がりの嘘だという見方ができます。夜のリプ返しも嘘である可能性が高く、本来社交的ではないので返信が必要な相手はそれほどいないはずです。スマホに架空の予定を入れているか、不要不急の用事をかき集めて無理やり予定を埋めているのかもしれません。
サークルを辞めた理由を訊かれたときに「サークルとかめんどくさい」と言っていましたが、これも強がりだという解釈があります。人間関係が面倒で辞めた風にも見えますが、本当の理由は別にあるのでしょう。映画サークルで死ぬ役をガチで演じすぎてしまい、タナトフォビアに囚われてしまったことが辞めた理由だと考えることもできます。
男女関係についても、表面的な描写と実態は異なっている可能性があります。団地に向かう道では史織が啓太の元カノ、真帆が今カノと明言されますが、そこが既に脳内世界の妄想だとする説に立てば、現実とはイコールではないことになります。現実では史織が今カノ、真帆は元カノで、啓太は今カノから離れ元カノとよりを戻そうとしつつあるとも解釈できるわけです。そう考えると、史織の真帆への複雑な感情が妄想世界に投影されている理由も理解できます。
団地での性格変化の意味
アマプラで「N号棟」視聴
プロローグの団地の映像怖くて良かった
あとはあの部屋の凄いビジュアルのトイレをみんな使ったのかどうか気になって仕方なかった pic.twitter.com/l5wSPd0Kt3— ✩°。あゆこ *:.♬ (@berliner_ayuko) June 30, 2025
団地のシーンを脳内世界と見る説に立つと、そこでの史織の性格は現実の史織とは必ずしもイコールではないと考えられます。妄想世界の史織は、現実の史織の中のアグレッシブな部分が強調された存在だという解釈です。
これは小説で作者の人格の一部が強調されて登場人物に投影されるのと似た現象とも言えます。団地での史織は、現実では抑圧していた攻撃性や行動力を発揮しています。監禁されても脱出し、大柄な男と戦って制圧するといった行動は、現実の史織では考えられないでしょう。
また、史織の中の負の属性を真帆に転嫁しているようにも見えます。軽率だったり場を白けさせたりするという負の要素、さらに元カノによりを戻されそうな哀しき今カノという属性も、真帆に押し付けているという見方です。これは史織の真帆への複雑な感情が表れていると解釈できます。
団地の後、教授の部屋で脳内世界から現実に戻ったとする説に従えば、史織には明らかな性格の変化が見られます。学校の入口辺りで人が行き交うのを見ている史織の姿がありますが、もう無理して社交的に振舞おうとはしていません。
一見すると、あれだけ社交的だった人が誰とも話さないのは死んでいるからではないかと思えますが、生きているという解釈も可能です。脳内世界での経験からタナトフォビアによる強迫観念を克服し、もう無理して社交的に振舞う必要はないと悟ったのでしょう。予定を詰め込む必要もなく、自然体で暮らせるようになったわけです。
住人たちの服の色が示すもの

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団地の住人は大まかに白・赤・黒の独特な服を着ており、何らかのルールがありそうだという考察があります。このルールを解明することで、団地の世界観がより深く理解できるかもしれません。
赤を着ている団地の住人のうち、少なくとも加奈子は旦那のミイラと暮らしています。三谷家の部屋で心霊現象が起こるシーンでも、暗がりの中に椅子と足が見えるカットがあり、これは三谷旦那のミイラだと解釈できます。つまり赤は「死者と共に暮らしている印」という見方が一つあります。
もう一つの考察として、赤は「死に関わった印」とも考えられます。これには人を殺した、直接手を下さずとも見殺しにした、堕胎したなどが含まれるという解釈です。史織が子供を堕ろしていたという説があり、それに従えば史織も最初から赤を着ていないといけませんが、リプ返しのシーンで上着をはだけた下に着ているのが赤っぽいので、この解釈も完全には否定できません。
黒の意味についてはまだ明確な解釈が定まっていないようです。団地で黒を着ている人はかなりの確率で死ぬため、死の運命を持つ者かとも思えますが、スマホ男が生きていたりするので断定は難しいところです。
啓太と真帆が団地服に着替えるのは謎の飲み物を飲んだ後ですが、最初から赤ではなく白を着ています。これは、まだ死者と共に暮らすことを受け入れていない段階であることを示しているのかもしれません。徐々に団地の世界観に馴染んでいく過程が、服の色の変化で表現される可能性も考えられます。
史織が霊体化していた可能性
「N号棟」観ました⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝
岐阜の幽霊団地事件で有名な話がちょこちょこ入ったミッドサマー
ミッドサマー超えてるなと思うのは主人公の思考のやばさですかね pic.twitter.com/fAlRK6eRIA— 大根おろち🐼㌠ (@orochi0203) November 13, 2024
史織が監禁部屋から脱出し、大の男を倒せた理由について考察していきます。この間で史織は死んでいるのではないかという仮説が存在します。
史織は監禁部屋に連れていかれロープで縛られますが、次に出てくるシーン(スマホ男が食事を持ってくるとき)にはいつの間にかロープを抜け出しており、スマホ男を倒してしまいます。いつの間に抜け出したのか、どうやって大柄な男を倒せたのか、不自然な点が多いのです。
スマホ男を倒した後のシーンでは、少し見づらいですが手前に全裸の男が倒れています。このとき史織はズボンのチャックが下がっており、ズボンのベルトを締め直しています。おそらく、この全裸男にレイプされかかり、抵抗するうちに死んだと見る解釈があります。スマホ男がロープで首を絞められる前、懐中電灯を照らした先の床に血しぶきらしきものがあり、おそらくここで死んだのではないかという推測です。
ただし史織自身は死んだことに気付いていないように見えます。映像は史織視点で描かれているため、視聴者も史織が生きているように錯覚してしまいます。実際には史織は既に死んで霊体化しており、生者と死者の見え方の法則に従って、謎の飲み物を飲んでいない人からは心霊現象として見えていたという解釈が成り立ちます。
ホステル男のような大柄な男と戦って制圧できたのも、史織が霊体化していたからだと仮定すると説明がつきます。ホステル男からは、中盤に出てきた三谷の霊のような形で史織の顔をした霊が見えており、ポルターガイスト現象を駆使して襲ってくる感じだったのかもしれません。だから小柄な女性に取り押さえられた程度で怯え倒し、まともな会話もできない状態になったという見方です。
全裸男もホステル男同様に倒したと考えられます。スマホ男についても、謎の飲み物を飲んでいない可能性があり、だからこそ常にスマホ越しに死者を見ていたのでしょう。史織が襲い掛かってきたとき、謎の飲み物を飲んでいた他の住人ならば抵抗できたかもしれませんが、スマホ男には心霊現象に見えて抵抗できなかったという解釈です。
ラストシーンに隠された真実

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ラストシーンの解釈は、N号棟の考察において最も重要なポイントです。史織は朝目覚めてカーテンを開けると、そこは団地でした。このシーンをどう解釈するかで、物語全体の意味が大きく変わってきます。
一つの解釈は、史織は既に死んでおり、団地が死後の世界であるというものです。確かに団地でナイフで腹を刺されているため、死んでいる可能性は高いでしょう。大学に戻ってからも人と話すシーンはなく、教授の部屋での先生との会話風なシーンも、実際には史織と話していなかったと見ることができます。
しかし、もう一つの解釈も可能です。それは、史織は生きており、タナトフォビアを克服した結果として、自らの意志で団地に住むことを選んだというものです。団地での経験を通じて、史織は「死んでも魂は残り、身近な人のそばにいられる」という新たな死生観を獲得したと見ることができます。だからこそ、母親の管を抜く決断ができたのです。
母親の管を抜くシーンは、史織がタナトフォビアを克服したことを象徴していると言えます。以前の史織なら、母親の死を恐れて管を抜くことはできなかったでしょう。ただ団地での経験を経て、死は終わりではなく、魂は残り続けるのだと理解したという解釈です。
団地に住むという選択は、この新たな死生観を実践することを意味しているのかもしれません。おそらく団地には母親の魂もいて、史織はそばで暮らすことができるのでしょう。加奈子が亡くなった旦那のミイラと暮らし、「今まで仲良く暮らしているのよ」と語っていたように、史織も母親と共に暮らすことを選んだわけです。
ただし、これはあくまで一つの解釈です。史織が既に死んでおり、死後の世界で目覚めたという解釈も十分に成り立ちます。映画は明確な答えを提示せず、観る者に委ねているのです。
どちらの解釈を取るにせよ、ラストシーンが示しているのは、史織がタナトフォビアから解放され、死を受け入れることができるようになったという点でしょう。無理して予定を詰め込む必要もなく、社交的に振舞う必要もなく、自然体で暮らせるようになりました。朝目覚めてカーテンを開ける史織の表情は、以前のような緊張感や不安感がなく、穏やかで安らかなものになっています。
団地という一見すると異常な場所が、史織にとっては心の安息を得られる場所になったのです。これがハッピーエンドなのか、それともバッドエンドなのかは、観る者の価値観によって変わってくるでしょう。
総括:N号棟の考察|団地は史織の妄想世界なのか?真相に迫る
- 団地での出来事を史織の脳内世界で創られた妄想と見る解釈が存在する
- 冒頭から病院までが現実、団地へ行くシーンから妄想に入り、教授の部屋で現実に戻るという説がある
- 妄想の目的をタナトフォビア克服のためのセラピーと見る解釈が有力視されている
- 教授が黒幕として関与しているという説が存在する
- 謎の飲み物を飲むことで死者が生者と同じように見えるようになる法則があると考えられる
- 史織は本来社交的ではなく、タナトフォビアによる強迫観念から無理して生きていたという解釈がある
- 団地での史織はアグレッシブな部分が強調され、負の属性は真帆に転嫁されているように見える
- 住人の服の色にはルールがあると考えられ、赤は死者と共に暮らしている印または死に関わった印という説がある
- 史織が監禁部屋で死んで霊体化していたと見る解釈も存在する
- 霊体化していたと仮定すると、大の男を倒せた理由の説明がつく
- スマホ男は謎の飲み物を飲んでおらず、常にスマホ越しに死者を見ていたという見方がある
- 団地初日の夢で殺されるシーンは映画サークルで撮っていた映画のシーンという解釈が可能
- 団地二日目のダンスシーンはかごめかごめを意味し、流産のトラウマを刺激するという説も存在する
- ラストシーンの団地は死後の世界である解釈と、生きて自ら選んだ住処である解釈の両方が成り立つ
- 映画は明確な答えを提示せず、観る者の解釈に委ねる挑戦的な作りになっている